20数年前、京丹後市内の高校から岡山の大学へと進学しました。進路を決める時、地元に残るという選択肢もありましたが、当時の私は都会への憧れもあり、進学した岡山の町はとても輝いていたのを覚えています。大学ではずっとやりたかった演劇にはまり、大学卒業後はアルバイトをしながら東京の劇団に所属し、役者をしていました。ひょんなことから、ヨガのインストラクターになり、事業展開を考えていた矢先に働いていたスポーツジムが閉鎖。京丹後に残してきた父が気がかりになり、妻と子どもを連れて京丹後に戻ってきました。
しかし仕事の当てはありませんでした。私は既に40歳を過ぎていたので、自分にできる仕事はこの町にはないのではないかと思っていました。しかしそんな時に出会ったのが、福祉の仕事でした。その中から、私は障がい者施設に入職しました。初めて施設を訪れた日、見ず知らずの私にたくさんのご利用者が話かけてくれて、驚きましたし、それ以上にとても嬉しかったです。異業種から飛び込んだ私ですが、先輩が付きっ切りで仕事を教えてくれたのですぐに慣れることができました。高校生の時の私は、京丹後市に戻ってくるなんて思ってもいませんでした。当時の私が、京丹後市で福祉の職場で働く今の私を見て驚くでしょう。でも、それは落胆の驚きではなく、歓喜の驚きだと思います。何でって、こんなにも生き生きと働いて、家族3人笑って過ごしているんですから。